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こんにちは♪ ス~ジ~です♪ 

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ハイチ侵攻を6時間前に回避

<開始時刻の6時間前に回避されたハイチ侵攻>

1993年9月に軍を退役したコリン・パウエルは、外交
で活躍しはじめます。

パウエルは、クリントン大統領の要請により、1994年
9月17日の土曜日の午後12時30分、ジミー・カータ
ー元大統領と一緒に、特使として、ハイチのポルトプラン
スに着きました。国連が、ハイチの軍事独裁政権を倒し、
ジャン・ベルトラン・アリスティッドを復権させるために
、武力を行使してもよいと認めたので、アメリカは、ハイ
チに侵攻しようとしていました。特使の役割は、アメリカ
のハイチ侵攻が流血の惨事にならないように、ハイチの軍
事独裁政権を説得して、戦闘を放棄させることでした。

パウエルは、ハイチの軍司令部で、国政を牛耳る臨時政府
の指導者ラウル・セドラ将軍に訴えます。
「どこの軍隊の規律が、無意味に生命を犠牲にすることを
要求しますか? 真の名誉とはどのようなものか、お話し
しましょう。それは、無意味な死よりも、権力の放棄を選
ぶ勇気をもつことです。」

侵攻開始時間の22時間前、パウエルは、セドラの自宅で
、将軍の妻に会います。彼女は言います。
「裏切り者として、ハイチの弾丸を背中に受けるよりは、
アメリカの弾丸を胸に受けて死んだほうがましです」。
パウエルは言います。
「私の妻なら、将軍の妻としてのあなたの忠誠心を充分理
解すると思います。しかし、いいですか、結果がすでに決
まっているときに生命を投げ出すのは名誉ではありません
。あなたとご主人は必然の結果を受け入れ、ハイチ国民を
これ以上苦しめないようにしなければなりません。死ぬこ
とではなく、生きることを話しあいましょう」。

侵攻開始時刻まであと15時間。パウエルは、軍司令部で
、テーブルの上に身体を乗り出します。
「あなたがたがどのような状況に直面しているか、きちん
と理解していただこうと思います」。
そして、指を折りながら数をチェックしました。航空母艦
が2隻、歩兵師団2個半、2万人の軍隊にヘリコプター・
ガンシップ、戦車、大砲。パウエルが列挙した戦力の大き
さに、ハイチ人の気持は沈んでいきました。

ハイチ大統領エミール・ジョナサンはついに、ジミー・カ
ーター元大統領の、臨時政府のメンバーが将来のいつの日
にかハイチへ帰還できる可能性を残す恩赦の提案に対して
「私はこの提案に署名するつもりだ。国民をこれ以上悲惨
な目にあわせるわけにはいかない。私は平和を選ぶ」と言
いました。

セドラとその他の者もジョナサンの決定に従いました。パ
ウエルは、その機会をとらえて、セドラに言いました。
「上陸に際して、アメリカ兵が攻撃されることはないと、
あなたから確約をいただきたい。いいですか、われわれは
侵攻をやめさせることも開始させることも容易にできるの
です」。
セドラは
「私は大統領の命令にしたがいます」
とジョナサンのほうを見ながら言いました。
「確約したと考えてもらっていいでしょう」
と、年老いた男は、うなづきながら言いました。
英語とフランス語に翻訳された文書が用意され、カーター
とジョナサンがそれに署名しました。ハイチ侵攻は開始時
刻の6時間前に回避されたのです。

翌日、第18空挺軍団司令官のヒュー・シェルトン中将に
率いられたアメリカ軍が、ハイチ人の歓声に迎えられなが
ら平和裡に上陸しました。3週間後、セドラと仲間たちは
ハイチを出国しました。そして、10月15日、アリステ
ィッド大統領が意気揚々とポルトプランスに戻ってきまし
た。


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